歩々是道場『禅林類聚』

今日のjissoujiに贈る禅語は、「歩々是道場『禅林類聚』」です。 http://shindanmaker.com/18220 #zengo

よく似た禅語に「直心是道場」というのもありますが、道場は何も坐禅堂とか、武道館に限らない、行住坐臥、日常生活全て道場であるという意味です。
そうした意味では自分を向上させていく道に終りというのは無いのでしょう。人生は死ぬまで道場の真っ只中であるとも言えましょう。

私共、臨済宗では僧堂での雲水修行が最も大切とされています。もちろん僧堂での経験は僧堂でしか得られないものも多く、その後の僧侶としての基礎を学ぶ場でありますが、同時にその後の修行の仕方を学ぶ場でもあるのではないでしょうか。

昭和の大禅匠、般若窟山本玄峰老師の遺徳を偲んだ、玉置辨吉編著『回想 山本玄峰』春秋社の中で、その法を嗣がれた中川宋淵老師の「玄峰老師年譜普説」と題した講演録が収録されています。その中で、玄峰老師が円福寺で見性宗般老師の印可証明を受け、法を嗣がれた時のことを評してこう仰っています。
「何も、それで修行が終わったのではないけれども、もうこれで何処に出ても、何処に転がしておいても、一人で修行がつづけて行けるという証明であります。」

大事了畢された老師方でさえそうなのですから、況んや私共はです。
しかし、師家分上の方々は、それこそ四条大橋の橋の下であっても道場と同じ心持ちで過ごせるのに対し、私などはつい社会に出てしまうと法務や雑用に追われて、つい「僧堂だったら坐禅出来るのに」とか「家族が居なければ」などと、「たられば」を考えがちであります。
そんな時に思い出したいのが、今日の禅語「歩々是道場」です。
何も静かな禅堂での接心だけが修行ではありませんし、雲水当時から「動中の工夫、静中に勝ること百千万億倍」と教えられて来た筈です。
そのことを忘れずに、日々自らの務めを果たしていきたいものだと、あらためて感じました。

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